じーちゃんとばーちゃんの思い出

旦那さんが単身赴任になったので、姉が軽自動車を買ったそうだ。

轟母「新古車いうの?あれ買うたみたい。ナビつけて、ATMつけたら×××万円かかった言うてた」

…普通に聞き流したが、ATMて!(笑)
一応、ETCだと訂正はしたが、きっと次覚えてはないだろう。
そんなこんなで、年末ぶりに愛媛に帰省である。
母方の祖父母の法事のためだ。

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中学生のときに二人とも亡くなった。ばあちゃんて、パンチパーマかけとるん?と子供心に思っていたくらい、髪にパンチが効いていた祖母( 天パ)。

毎日100円のお小遣いをもらっていた保育園児のわたしは当時鍵っこで、家に帰ってから駄菓子屋さんに買いに行くのが日課だった。 30円のクジを3回する。あと10円の飴やガムを買うとか、明日に10円持ち越せばよいのに、徒歩3分と離れていない祖母のところへ行って

「ばーちゃん!」
と外から祖母を呼ぶのが常だった。足の悪い祖母は2階の窓から顔を出してくれた。

「どうしたん?」
「ばーちゃん、20円ちょうだい!」

祖母はわかった、と、20円をティッシュに包んで道路から見上げているわたしに投げてくれた。あと1回くじ引きしたさに20円を祖母にせびる保育園児。週に3回はやっていたか?どんだけちゃっかりしてるんだ。今考えると、本当図々しいクソガキである。

そんなわたしでも、末っ子ということもあって、とてもかわいがってくれた。小さい頃、道路端で入れ歯を取って見せてくれたときには、ばあちゃんすごい!と本気で驚いたものだ。わたしも取れないかとやってみたのは懐かしい思い出である(笑)。

祖母は心臓が悪くて70歳を迎えることなく亡くなった。祖母が大好きだった祖父は、それから毎日のように飲んで、泣いて、後を追うように次の年亡くなった。娘も孫でもなく、祖母でないと埋められないものがあったのだろう。亡くなって20年以上経つのに、今でもよく覚えている、祖父母とのやりとり。家が近かったから、よく遊びに行っていたのだ。クリーニング屋さんを営んでいた祖父母の家にある機械や作業場がとても好きだった。

祖父母孝行を何にもできなかったなあ。もっとじーちゃんとばーちゃんに優しくすればよかった。と今でも思う。そんな祖父母の歳を両親が超えようとしている。

ETCをATMと言うのも仕方ないか(*・ω・)

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