R372旧道天引峠の次は、3つ目の天王峠です。R372を西へ戻り、R173を南下し、③へと向かいます。
ツーリングマップルにも白線であるのがわかるので、 左手に入口があるやろうと進むのですが、全くわからず、 流れにのって走っていると、天王トンネルを2つくぐってしまいました。
2つめのトンネルを出たところで、いかにも!という道を発見。
行きすぎてしまったのでUターン。きっとここでしょう。R173を南下してきた場合、2つめのトンネルを出てこんな感じで到着することになります。
見えにくいのですが、国道開通記念碑がありました。何の開通が昭和58年かわからないのですが、トンネル開通がその頃だとしたら旧道は現役から退いて30年は経っている、ということでしょうか。
天王峠は今は大阪に属していますが、かつては境界をめぐって摂津国と丹波国で争っていたとか(wikipediaより)。
東北・蔵王の御釜リフト乗り場近くに残っていた建物にも、宮城と山形の県境争いがあったというようなことが書いてあったのを思い出しました (上の写真は2005年撮影)。
入口には大きなパイロンがありました(°ω°)。こんな大きなサイズがあるんですね。
のりまきさんから、傷みが激しい道だと教えてもらっていたので、もしかしたらバンバンは入れないのではないかと思っていました。
旧道・天王峠へ
それに備え、今日はウォーキングができる準備もしてきていたのですが、3つ目の天王峠も大丈夫のようです。
開いていたので、お邪魔させてもらいます。丹州街道古民謡の碑がありました。「九里に九つ峠を越えて」とあるので、当時の厳しい道程を謡ったものなのでしょうね。
入ってすぐの場所で、すでにこの枯れ葉の状態です。 気を付けて進んで行くとします。
車のマークのある、スリップ注意の標識が真っ黒です。
ゆっくり進んで行くのですが、枯れ葉の上からでも明らかにおかしいと感じるようなところがありました。
人から少しづつ忘れられていく道
車のような重みのあるものが通ったら、そのまま崩落するのでは、と思うような・・ 真ん中より山側をしっかり走らないとですね。
板チョコをパキっと割ったような崩落箇所。
苔の部分がやたら盛り上がっている、路面状態の箇所。
こんな風に朽ちていくのだと教えてくれた標識。
黒いテープを貼っているのかと思いました。ここから錆びていくんですね。
堆積物が結構あります。
土嚢の上にも生える苔。
全体的に放置された道はこんなになるのかと、今日走った旧道の行く末を見ているような気がしました。
バンバンと進めるだけ、まだましな方なのでしょうが。R173であった痕跡は何かないだろうかと探したのですが、標識はあったものの、おにぎりのようなものは見つけることができませんでした。
残念ではあるのですが、こういう道にはつきものとはいえ不法投棄だらけでした。これって全国共通なんですかね。捨てているものを見たら、普通にゴミの日に出せるやろって感じですが。
わたしが走って来た方向からすると、下りだったので滑りやすい状況の場合だと、北から南へと進むのがよいかもしれません。
反対側も開いていました。 本当は通行止めだったようですが、現状簡易なものなので本気具合は・・?
今日走った他の2つの旧道に比べて、状態は悪いと感じました。堆積物、路面状況からしてもよくない状況でしたが、タイヤを取られたりひやっとすることもなく、ゆっくり進めば問題はありませんでした。
距離にして数キロでしたが、快適な現役のR173の直ぐ側にこんな旧道があるなんて、想像したことがありませんでした。
改めて考えると、「旧道」って身近なものかも
しかし。
考えてみれば、四国の瓶ヶ森林道に行くときも旧寒風山トンネルへ向かう道は 旧道のR194でしたしね。
特に意味はないのですが、画像を探していたらUFOラインにまた行きたくなったので 貼っておきますw。
走りやすくなったトンネルや峠があるところには、基本的に旧道があるはず。それを念頭に、好奇心をもって探していきたいです。
どこで何かを食べることもなかったので、グルメな要素も何にもなく走行距離も200キロちょっとと、そんなに走っていないのですがとっても満足度の高いツーリングでした。
わくわく感って大事ですね。人にはなかなか理解してもらえないですが・・・別にいいもんw。
毎度のことですが、パンク修理キット、酷道を走りそうなときには多めに持って行っている工具、どちらも出番がなかったことが何よりです。16:30、暗くなる前に無事帰宅。
曇ってはいましたが、気温も18-20度ととても快適に過ごせました。
バンバン走行距離:213.1km