【原付で大阪から鳥取へどうでしょう】わたしの人生で初めてのツーリングのことを語るやんするね

少し前の記事で、ネガとAPSのフィルムをデジタル化してもらう・もらった話を書いた。

DVD-R5枚に100本近くのデータを詰め込んでもらったわけだが、先週末ようやく4Tの外付けHDDを買い足してデータを移し終えることができた。

そのデータの中には、わたしの初めてのツーリングの写真も収められていた。1泊2日の大冒険の記録。

それはポッキーの日だった 11月11日

ん年前のあの日は11月11日だった。

わたしは大阪の枚方(ひらかた)市を夜明け前に出発した。

相棒はヤマハのビーノ(Vino)号。50ccのスクーターだ。

朝の2時だったか、3時だったか。

初めてのロングツーリング。いや、そのときは「ツーリング」だなんて言葉も知らなかったに違いない。

「鳥取まで行こう」

わたしは鳥取砂丘に向けて出発した。A4サイズの日本地図をリュックに詰め込んで。

淀川を渡り、R170で高槻市を目指した。

その先は大阪府道6号線をひたすら北上。時間も時間だけに車も皆無だった。

国道9号線にさえたどり着ければあとは鳥取まで国道が導いてくれるのだと信じて暗い山道をひたすらに進んだ。

原付だからそう速くも走れやしないのに、とにかく寒かった。丸くなるくらい着込んだのに震えるしかなかった。寒さに備える経験値など当時は持ち合わせてなどいなかった。

国道9号線や!

とてもとてもうれしかった。あとはR9を走るだけでよいのだから。詰め込んだ地図よりも、見上げたらそこにある青色の案内標識が心強かった。いつしか心の拠り所になっていた。

国道9号線をいざ走りだすとトラックがとても多いことがわかった。トラックが横を通るときの風が怖かった。邪魔にならないようにふらつかないように、隅っこを走ることで必死だった。後ろから追突されやしないかという妄想を添えて。

コンビニの明かりがありがたかった。いくつか通り過ぎたのち、ついに我慢できず寄ってしまった。温かい飲み物とホッカイロを買うためだ。寒さで手が震えてうまく開けられなかった。

震えが落ち着いたら、出発するのに勇気が要った。走ると寒いとわかっているから。

夜が明けた。辺りが明るくなると少し緊張がほどけた。あまり天気はよくなさそうだった。「そういや、明日の天気予報はどうだっただろう?」

鳥取まで100キロを切った。

お腹が空いた。営業中の喫茶店を見つけたので入った。ゆっくり座って朝ごはんを食べたかった。

今でも鮮明に覚えている。モーニングメニューには目もくれず、焼うどん定食を注文したことを。無性にカロリーを摂取したかった。

「鳥取砂丘」

もう少しだ。もう少し・・!

約220キロ。初めて原付でこんなに遠くまで走った。

初めての鳥取砂丘はとても大きかった。地図でしか知らなかった場所にたどり着けたことが純粋にうれしかった。

鳥取砂丘に行こうと思ったのは、ラクダに合うためだ。わたしは動物の中でらくだが一番好きだ。

らくだと写真を撮りたくて500円だか1,000円だかを支払うと、カラフルな被り物を貸してもらえる上、バシバシとたくさんの写真を撮ってもらうことができた。

ここまでうれしそうに写真を撮ってもらってアレなのだが、実をいうとフタコブラクダよりも、ヒトコブラクダの方がわたしは好きだりする(でも大満足)。

鳥取砂丘の後は、城崎温泉へと向かった。温泉に入りたくなった。「今日泊れる宿はあるだろうか」

そんなにグイグイ走れる原付ではないのに、海岸線のグネグネ道になると車と同じくらいの速さになるのだとわかった。びっくりした。

観光案内所で素泊まりの宿を教えてもらった。

宿のご主人が写真を撮ってくれた(笑)。

温泉手形を頂けたので、外湯はほぼ全部周ることができた。

ぐっすり眠った。翌日は京都の日本三景の一つ、天橋立(あまのはしだて)へ。

また覗きも当然やっておいた。

この後はどんなルートで大阪の枚方まで帰ったか、どんなものを食べたのか、まるで記憶が曖昧なのだが、土砂降りの雨の中を走ったこと、道路の白線は雨の日には滑りやすいのだと感じたのはよく覚えている。

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はじめてのツーリングではいろんな発見があったことがわかる

  • 案内標識についてそれまでロクに見上げたこともなかったはずなのに500キロ近く走って、一気に自分の中での信頼度が上がったこと(笑)。
  • 原付に乗ると季節が2か月くらい進むほどの寒さを感じるということ。
  • 当時のわたしは、旅に出るからと天気予報なんて気にもしていなかったということ。
  • 半キャップだと、排気ガスで顔が真っ黒になるということ・・
  • 暗いときや雨のときにはできるだけ走らない方がよいということ。

「ガソリンのタンク容量が大きければいいのに」

「もっと早く走れたらいいのに」

なんてこれっぽっちも思わなかった。

ただただ、

「原付ってこんなに遠くに行けるんや٩( ‘ω’ )و」

どこまでだって行けるんや

と思った。

それに気づけたことがうれしくてうれしくて仕方なかった。すごいことに気づいてしまった気持ちでいっぱいだった。

あのとき思った、そんなポジティブな気持ちをいつまでも大事にしたいなぁと思う(^ω^)。

こんな記事を書くきっかけになったのは・・

このコロナ禍の中、あまり遠くに行くことができなくて兵庫県内(北部)をドライブしていたときのこと。

急にこのツーリングの記憶が蘇ってきて、確かあのレストランはこの辺りではなかったかな・・と思っていたら、偶然国道9号線でこの「春来」さんの建物を発見したのだ。

そのときはお店の名前まで覚えていなかったのだが、建物がまるで変わっておらず、データ化されたこの画像を見て間違いないと確認することができたのだ。

すごくうれしかったなぁ、すごく(^ω^)。

コロナに負けず「営業中」となっていた。春来さんには今でもまだ焼うどん定食があるのだろうか。確かめに行かなきゃと思っている。雪が降る前にね(^ω^)

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